妻が手相の勉強を始めたのは、去年の終わり頃だった。
先生にお金を払って教えてもらい、楽しそうに勉強していた。
僕はその様子を横で見ながら、てっきり「学んで終わり」だと思っていた。
けれど、話はそこでは終わらなかった。
その先生は、手相を学ぶだけではなく、そこから収益化するところまで導いてくれるという。
そこから妻の苦労が始まった。
手相を覚えることと、お金を払ってくれるお客さんを見つけることは、まったく別の話だったらしい。
ゼロから一円を生み出す。
言葉にすれば簡単だけれど、それがとんでもなく難しい。
妻は七転八倒していた。
どうやって知ってもらうのか。
どうやって申し込んでもらうのか。
自分のサービスにお金を払ってもらっていいのか。
そんなことを一つずつ考え、試して、失敗していた。
そして、つい先日。
妻はとうとう、数千円の収益を得た。
金額だけを見れば、大きなお金ではない。
サラリーマンの給料と比べれば、ほんのわずかだ。
でも、僕にはその数千円が、とても大きなものに見えた。
しかも、お客さんから御礼の手紙までもらったという。
自分が学んだことを使って、誰かの役に立った。
その人が、自分のお金を払ってくれた。
さらに「ありがとう」と言ってくれた。
これは、給料として毎月振り込まれるお金とは、まるで意味が違う。
会社員として働いていれば、お金は毎月入ってくる。
もちろん、そのお金だって仕事の対価だ。
けれど、自分でゼロから商売を作って、見知らぬ誰かから最初の数千円を受け取る。
そこには、別の種類の重さがある。
妻を見ていて、僕は昔のことを思い出した。
そういえば僕にも、ゼロイチを突破した瞬間があった。
最初は、本当に難しかった。
何をしてもお金にならない。
頑張っているのに、誰にも必要とされていないような気がする。
それでも必死に続けて、ようやく数千円を手にした。
あのときは、ものすごく嬉しかった。
金額ではなかった。
「自分の力で、お金を生み出せた」
その事実が嬉しかったのだ。
いつの間にか、その感覚を忘れていた。
もっと大きな成果。
もっと効率のいい方法。
もっと先へ。
そんなことばかり考えて、最初の数千円に震えた自分を、どこかへ置いてきてしまったのかもしれない。
妻は、自分の力で最初の数千円をつかんだ。
そして僕は、その姿を見ながら、自分の中に眠っていた最初の気持ちを思い出した。
ゼロから一を作ることは難しい。
だからこそ尊い。
そして、一度できたことを当たり前にしてはいけないのだと思う。
妻が本気で挑戦している。
だったら僕も、もう一度やってみようと思う。
最初の数千円を手にしたときの気持ちを、もう一度胸に置いて。
今こそ、本気を出すときなのかもしれない。
このポストについてのディスカッション
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奥さんステキ🥹✨✨
わたしもがんばろう!って思いました!
人のお役に立てた、という実感は、
何ものにも代えがたい感動と喜びですね。
奥さま、素敵ですね💓💓