ため息が、道になった。
比べていたら、たどり着けなかった。
YouTubeを始めた頃、毎日誰かのチャンネルを見ていた。
同じ電車系のチャンネルを見た。編集が綺麗だった。知識が深かった。登録者数が僕の何倍もあった。ため息をついた。また別のチャンネルを見た。また、ため息をついた。
そういうことを、毎日繰り返していた。
比べれば比べるほど、伸びる要素がなかった。
編集技術もない。電車の知識も浅い。面白い話もできない。後から始めた人間に、あっという間に追い越された。
「自分には向いていないのかもしれない」
そう思い始めていた。
そのとき、先輩に言われた言葉がある。
「比べるな。比べるなら、自分のアナリティクスを見ろ」
アナリティクスというのは、YouTubeの視聴データのことだ。どの動画が何回再生されたか。どこで見てもらえているか。どんな人が見てくれているか。そういう数字が、全部見える。
言われた通りに、自分の動画を見返してみた。
突出したものはなかった。ほとんどの動画は、鳴かず飛ばずだった。
ただ一つだけ、少しだけ再生されているものがあった。
地下鉄の乗り換えを、実際に歩きながら解説する動画だった。ホームから改札、出口まで、カメラを持ったまま歩いて撮った。たいした技術も要らない。ただ歩いて、喋るだけだった。
でも当時、誰もやっていなかった。
「これを増やせばいいのかもしれない」
そう思って、乗り換え動画をひたすら作った。路線を変えた。駅を変えた。組み合わせを変えた。毎週撮り続けた。
チャンネルが動き始めた。
登録者数が増えた。再生数が増えた。他のチャンネルと比べていたときには、まったく見えていなかった道が、突然開けた。
他人と比べていたら、絶対に辿り着けなかった場所だった。
比べることをやめたのではない。
比べる相手を変えた。
昨日の自分のアナリティクスと、今日の自分のアナリティクス。その差だけを見るようにした。
他の誰かが速く走っていても、関係なかった。自分が昨日より一歩前にいるかどうか。それだけが、基準になった。
壊れた後の生き方も、同じだと思う。
「普通の人はこうだ」という基準と比べると、いつも負ける。朝起きられない日がある。約束を守れない日がある。何もできない日がある。そういう日を、普通の人の普通の日と比べれば、絶望しか残らない。
でも昨日の自分と比べると、違う景色が見える。
昨日は起き上がれなかった。今日は水を飲めた。昨日は何も書けなかった。今日は一行書けた。
それは、小さい。
でも、それが積み上がったところに、気がついたら立っている。
比べる相手は、外にいない。
昨日の自分の中にいる。
壊れた経験を持つ人に向けて、
もう少し踏み込んだことを書いている場所がある。
よければ、こちらから。


